国債・金融史③第一次大戦の影響

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第一次大戦(1914-18年)とその影響

1914(大正3)年に第一次大戦が勃発し、各国は金本位制を停止。巨額の戦費は、増税ではなく、中央銀行からの借り入れや、短期国債(政府短期証券)で賄われた。戦争の長期化に伴うインフレ(物価上昇、国債価値下落)で、長期国債の発行は困難となった。連合側の諸国は、まずイギリスから、次いでアメリカから巨額の借り入れを行った。18年に大戦終結、各国には巨額の国債と紙幣が累積していた。国債の多くは短期証券であったため、すぐに借り換えを迫られた。ドイツは巨額の賠償金をフランスに迫られた。イギリス・フランスはアメリカに巨額の借入金を負っていた。

第一次大戦を通じて、物資の輸出と巨額の貸し付けを行ったアメリカは、債務国から債権国に転じ、19年にいち早く金本位制に復帰した。ヨーロッパ各国も復帰を目指したが、各国の経済は混乱していた。
18年、ロシア革命後のポリシェヴィキ政権が旧債務(対仏債務)のデフォルトを宣言。
20年、イギリス国債の価格は額面の44%に下落。
23年、ドイツでハイパーインフレ。
25年、フランス国債の価格は額面の43%に下落。etc...

24年ドーズ案(ドイツの賠償金減額)、25年ロカルノ条約(国境の現状維持と不可侵を定める)でようやく小康状態となり、経済は復興に向う。25年のイギリスを皮切りに、ヨーロッパ各国は金本位制に復帰する。29年の世界恐慌で金本位制は再び機能停止、31年イギリスの離脱にはじまり、37年フランスを最後に、すべての国が金本位制を離脱する。「金の足かせ」を外した各国の通貨は下落し、各通貨ブロック圏による切り下げ競争へと至る。


第一次大戦後の体制

・基軸通貨――
ポンドの脆弱化、ドルの台頭。

・国際金融市場――
ロンドンとニューヨークに分裂。

・ヴェルサイユ体制(1919年ヴェルサイユ条約に基づく)――
①ドイツの植民地をすべて没収し、各戦勝国が委任統治形式で再分割。
②ドイツ本国は割譲され、人口・面積ともに1割を失う。とくに普仏戦争以来ドイツの領土であったアルザス・ロレーヌ地域のフランスへの割譲は、ドイツの重工業に大きなダメージとなった。
③ドイツの戦争責任を認定し、賠償金の支払い義務を課す。21年に総額決定(ドイツ国家予算の17年分)。


※第一次大戦による戦死者は、フランス150万人(人口比4.3%)、イギリス90万人(人口比2.2%)、ロシア200万人(人口比2%)、ドイツ200万人(人口比3.8%)、旧オーストリア・ハンガリー帝国100万人(人口比3%)。
物理的な被害がもっとも大きかった地域は、西部戦線(ベルギー、フランス北東部)であった。停戦時、この西部戦線はフランス領内にあり、ドイツ領内に物理的な戦争被害はほとんど及ばなかった。にもかかわらず、ヴェルサイユ体制でドイツに対して厳しい要求を課したことは、敗戦の実感に乏しいドイツ国民の不満を生んだ。

フランス

第一次大戦で債務国に転落、英米への債務返済に充てるため、ドイツに巨額の賠償金を要求する。

ドイツ

第一次大戦後、巨額の賠償金と対米債務を抱える。

・ドーズ案(24年):
賠償金の減額(総額は定めず)。主にアメリカ向け外債を発行し、アメリカからの資本投下で経済復興して、賠償金に充てる案。ドイツ賠償金について、フランスの非現実的でナショナリスティックな対独強硬路線が、アメリカの仲裁で実現可能なドーズ案へと緩和された。その背景として、アメリカは対英仏戦債(政治的な債権)について、商業的な貸し借りであるとして帳消しに応じず、長期債で回収する方針をとっていた点が指摘される。賠償金の商業化ともいえるこのドーズ案は、独仏英からアメリカへの資金の流れを確実にするものであった。

・ヤング案(29年):
ドーズ案が軌道に乗り、ドイツ経済は復興に向うが、アメリカからの資本流入に依存しており、対米債務が累積していた。ヤング案では、賠償金をさらに減額してドイツの負担を軽減したうえで、その総額を確定。しかしヤング案に基づき賠償金の支払いを優先すると、対米債務の返済が後回しにされるため、ドイツ国内の民間企業の信用力(対米債務支払い能力)が低下し、さらなる借り入れ・起債は困難となる。とはいえ、ドイツ主権の回復(連合国によるドイツ経済管理の解除)、フランスによるラインラント占領解除など、第一次大戦の清算という観点から支持され、採択される。
29年以降、アメリカ資本は撤退し、賠償金の支払いは不可能に。その要因:
29年ヤング案(対米債務の不履行のおそれ)、29年世界恐慌(すでに前年、資本は過熱したニューヨーク株式市場に還流していた)、31年金融恐慌(オーストリア・ドイツの銀行は機能停止)、ナチスの台頭(投資家は政情不安を嫌う)etc...

・31年、ドイツ金融恐慌。オーストリア最大手の銀行破綻をきっかけに、ドイツ諸銀行への不信感を強めた英米の債権者は、一斉に預金を引き上げ、資本を逃避させる。それはドイツ中央銀行の正貨準備金の流出を意味した。フーヴァー・モラトリアムも効果なく、ドイツの諸銀行は機能停止、金本位制を離脱する。これ以降、ドイツ資本の国外移動は規制される。

・33年、ナチスは賠償金の支払いを拒否。35年、ドイツ再軍備。

・39年、ナチスは中央銀行を国営化し、大量に発行した国債の引き受け先とすることで、戦費を調達。資本移動を規制し、国債を金融機関に直接に(市場を経由せずに)発行した。


イギリス

第一次大戦で、露・仏・伊に70億ドルの債権(回収見込みのない不良債権)を、米に37億ドルの債務を負う。

・25年に金本位制に復帰、自由貿易は復活する。戦費を賄うためにポンドの供給量が増加していたため、本来であれば、金に対してポンドを切り下げるべきであったが、大戦以前の旧平価(金とポンドの交換比率)で復帰した。ポンドが割高に設定されたことは、国内の工場産業がすでに国際競争力を失っているという実状に合わず、失業者の増加、輸出減少(国際収支の悪化)を招き、資金がアメリカに移動する。

・27年ポンド危機(正貨準備金の流出)。イングランド銀行はFRBに協力を要請するも、金流出は止まらず。

・31年ドイツ金融恐慌で、イギリスの対独貸付金が回収不能になり、ポンドの信頼は揺らぎ、金流出は止まらず。
→同31年、金本位制離脱によりポンド急落。それまで割高に設定されていたポンドが、ようやく実勢レートへと切り下げられる。
→ポンド・ブロック圏の形成:
関税障壁(アメリカの保護貿易に対抗)。
日・英・米・仏による通貨切り下げ競争(日本の円安を利用した輸出増に対抗)。

・36年、三国通貨協定:
米・英・仏による通貨切り下げ競争が一巡した後、ナチス台頭という共通の脅威に対して、三国間における輸入制限の緩和、通貨切り下げの回避が了承される。

・39年、ドイツはポーランドに侵攻、英仏はドイツに宣戦布告(第二次大戦の勃発)。
→イギリスは資本移動を規制し、イングランド銀行が国債を引き受けることで、戦費調達された。

アメリカ

第一次大戦後、債務国から債権国に転じ、19年にいち早く金本位制に復帰する。その後、資金はさらにアメリカ一極へと集中するが、28年後半以降、ニューヨーク株式市場は過熱し、アメリカの国際収支は制御不能に陥る。

・13年、FRB(連銀。中央銀行)創設。

・正貨準備金の急増:
13年13億ドル→19年25億ドル→29年39億ドル(イギリスの5倍)に急増。

・債権国に転じる:
18年(終戦時点)の連合国に対する債権は70億ドル。30年の対外債権は130億ドル。

・25-28年(ドーズ案~ヤング案の時期)、アメリカは貿易黒字を資本輸出で相殺する:
経常収支:1年あたり7億ドルの黒字。貿易黒字、およびサービス収支の黒字化(投資収益の黒字化)による。
対外投資:1年あたり13億ドルの赤字。ドイツなどに資本が輸出されたことを意味する。
資本流入:1年あたり6億ドルの黒字。外債の償還(返済金の受け取り)などによる。
以上、7億-13億+6億=0億(均衡)

・24-27年、イングランド銀行からポンド救済要請を受けたFRBは、公定歩合(中央銀行から市中銀行に融資する際の金利)を引き下げる。英米間に金利差を設け、イングランド銀行側の公定歩合を高く設定することで、同銀行からの金流出を食いとめようとした。公定歩合の引き下げに加えて、市中から国債を購入するなど、一連の金融緩和政策は、アメリカ国内における市中への通貨供給量を増やすこととなった。
→28-29年、ヨーロッパ資金が流入、またドイツに投下していたアメリカ資本が還流。ニューヨーク株式市場は過熱し、その対策として、FRBは28-29年前半、金融引き締めを行う(公定歩合の引き上げ、4億ドルの国債売却)が、アメリカの国際収支は制御不能に。
29年10月、世界恐慌(株価暴落)

・30年、スムート・ホーリー法。国際経済の安定よりも、高関税による国内産業保護を優先する。

・31年、フーヴァー・モラトリアム。ドイツ救済措置(ドイツ金融恐慌対策)として、英仏への賠償金と対米債務の支払いを1年延期するが、効果なし。

・33年に金本位制から離脱し、ドルを切り下げたためか(ニューディール政策の一環)、あるいはヨーロッパからの資金流入のためか、ひとまず恐慌から脱出(33-37年の好景気)、同時に財政支出は増加する。支出の4割は増税で賄われ、30年代半ばの財政赤字は4%程度で推移する。太平洋戦争が本格化する42年以降に軍事支出は増加し、45年の財政赤字は22%に達する。また国債残高の経済規模に対する割合は46年に120%に達するが、国債金利は低利で安定する。

参考文献

 


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