国債・金融史⑧現代――変動相場制

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ニクソンショック

1971年8月、アメリカはドルと金の兌換を停止。日本をはじめ各国は固定相場制から変動相場制に移行し、日本円は1ドル=360円から年末に320円となり、急激な円高ドル安が進んだ。

スミソニアン協定

1971年末、混乱する為替レートを安定化するため、ドルと金の兌換を停止したままで、固定相場制への復帰が模索され、主要通貨の対ドルレートが新たな水準で決定された。ニクソンショック以前に比べて、主要通貨はドルに対して切り上げられたが、とくに円の切り上げ幅が最大であった(1ドル=308円)。
一方、この新レートにおける英ポンドの切り上げ幅が高すぎると判断した投機筋はポンド売りを仕掛け、ポンド下落を防ぐために英通貨当局はポンドを買い支えるもドル準備金が底をついて固定レートを維持できなくなり、変動相場制に移行する。同様に他の主要国も対ドルの固定レートを維持できず、73年にスミソニアン体制は崩壊する。

プラザ合意

ニクソンショック以降は急激な円高ドル安が進んだが、1978年の1ドル=180円をピークに再び円安傾向に戻り、80年代前半には240円前後まで円安ドル高となっていた。このドル高を是正するため、85年に主要国による協調的な為替介入が発表された。このプラザ合意により、日本円、西独マルクをはじめとする主要通貨はドルに対して通貨高となった。
当初は10~15%程度のドル安が企図されており、各国によるドル安誘導のための協調介入は2か月で終了したが、各国政府の思惑をこえてドル安が止まらなくなり、87年にドル安を食い止めるための協調介入(ルーブル合意)が発表されるも効果なく、88年の1ドル=120円でようやく小康状態となった。
ちなみに80年代前半のドル高は、インフレ対策として行われた米FRBによる高金利政策が世界のマネーをアメリカに流入させ、ドル買いを引き起していたことが一因であるとの見方がある。

ブラックマンデー

87年のアメリカ株価大暴落。一日の下げ幅は歴史的であったが、実体経済の悪化を伴わず、NYダウは2年後に暴落以前の水準へと復帰した。

参考文献

 


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