国債・金融史⑥日露戦争
日露戦争(1904年)の戦費を調達するため、日本政府は外貨が必要であった。
日清戦争(1894年)では、日本政府は日銀から一時的に借り入れを行い、戦後に賠償金で返済するという形をとった。日露戦争でも同様に、日本政府は日銀から一時的に借り入れを行い、公債収入を日銀に返済するという形をとった。
1904年、日銀券の発行残高は急増するが、これは日銀から政府への一時借り入れ金の急増を意味する。しかし金本位制を維持するためには、日銀券の発行増に応じて、正貨(兌換準備金)の保有量を増やす必要がある。また戦争では大量の物資を輸入する必要があるので、やはり貿易赤字で正貨が流出する。1904年の正貨準備率は30%であるが、この水準を下回ると、金本位制の維持が危ぶまれ、戦争の継続が困難となる。そのため日本政府は早急に、外債(外貨建て国債)で正貨を調達する必要があった(内国債で資金を調達したところで、輸入品の代金を支払うために結局、正貨が流出してしまうので意味がない)。
要するに、戦争で突発的に支出が増えると、国内的には紙幣を増刷し、対外的には物資の輸入が増える。そこで、兌換準備金と輸入資金に充てるため、外債発行による一時的な正貨補充が行われたといえる。もちろん外債で得たお金とは借金のことなので、戦争終結後に少しずつ返済する必要がある。
§ 開戦前の見積もり:
・開戦時において日本国内で戦争に費やすことのできる余剰の正貨(国内自給物資):0.5億円
・総戦費4.5億円→海外に流出する正貨(輸入物資の代金):1.5億円(日清戦争に倣い、総戦費の約1/3として計算)
・金本位制維持のために必要な兌換準備金(正貨):1億円
→以上より、0.5億円-1.5億円-1億円=2億円の正貨不足を賄うため、まず2億円の外債発行が目指された。
当初、日本外債の引き受け手(買い手)は見つからず、1904年5月(日露戦時中)、ようやく第1回目の外債発行にこぎつけた。額面価格は1000万ポンド(約1億円)、販売価格はその93.5%、日本政府の収入は9000万円。このとき、正貨準備金は8000万円で準備率20%に下落していたが、9000万円の外貨補充で準備率47%に回復、金本位制放棄の危機はひとまず回避された。
その後、戦争の長期化に伴い、戦費の見積もり額は10億円に増加、その1/3の正貨(輸入物資の代金)が海外に流出すると仮定して、3.3億円(+金本位制維持のために必要な兌換準備金)の正貨不足を補うための外貨補充が必要とされ、さらなる外債が発行された。
最終的に日本は計6回、総額1億3000万ポンド(約13億円)の外債を発行。このうち、最初の4回、8200万ポンド(8億円)が戦費調達資金であり、残りの2回は低利への借り換え債であった(戦争が終わればデフォルト・リスクが低下するため、日本政府は、低利債への借り換えによって、金利負担を小さくすることができる)。
日露戦争以降、外債の利払いと、貿易収支赤字のために、正貨不足は続いていたが、1915年の第一次大戦景気で輸出が急増(貿易収支の黒字化)、正貨不足は一気に解消し、1918年に日本は債権国に転じる。
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