国債・金融史⑤日本と金本位制
日本と金本位制
・1897(明治30)年、日本は金本位制へと移行。金1g=0.125ポンド≒1.333円。
このとき日清戦争の賠償金をイングランド銀行に預け、兌換準備金(通貨と交換するために保有しておく地金。正貨)に充てた。金という裏づけを担保できたことは、日本国債の信用力を高め、低利外債の調達を容易にした。
日露戦争では戦費の4割が外債で賄われた。日露戦争以降(1905-14年)、外債の利払いと、貿易収支赤字のために、正貨(金+外貨)の不足が続く。
・1914(大正3)年、第一次大戦が勃発し、日本は各国に倣い金本位制を停止。また大戦景気で輸出が急増(貿易収支の黒字化)、正貨不足は一気に解消し、日本は債権国に転じる。
・1920年代不況(大戦特需の終了、23年関東大震災、27年金融恐慌、30・31年昭和恐慌)で、大戦期に蓄積した正貨を食いつぶす。日本は不況の影響で金本位制復帰のタイミングを逃す。
・1927年金融恐慌:
過剰な設備投資や震災被害など、経営の不健全な企業に対する日銀の救済融資が不良債権化、日銀からの融資を貸し出していた中小銀行に対する信用は低下し、預金の取り付け騒ぎとなる。日銀の緊急融資で沈静化。恐慌後、五大財閥系銀行の普通預金のシェアは25%→35%に上昇した。他方で地方の中小銀行は倒産・合併し、それに依存していた農業は打撃を受ける。
・1930(昭和5)年に金本位制に復帰するも、すでに世界恐慌が始まっていた。翌31(昭和6)年に金本位制から離脱して管理通貨制へ移行し、円安(円の切り下げ)を放置して輸出を促進し、また公定歩合を引き下げて通貨供給量を増やすことで(金融緩和)、33年頃に恐慌から脱出する。円安を利用した日本の輸出増に対抗して、英・米・仏は自らの植民地圏をブロック経済化させる(関税障壁、通貨切り下げ競争)。
・1932(昭和7)年、対外投資が規制され、国債の日銀引き受けがはじまる。日本国内の投資家は、自らの保有する資金(金融資産)の実質価値を保全するため、国外の有望な(成長見込みのある)産業に投資しようとしたが、日本にとっては資本の国外流出を意味するため、政府によって禁止された。その結果、行き場を失った国内の資金が、大量発行される日本国債へと集中した。こうして円ブロック経済圏のなかで、政策的・人為的に日本国債の高価格・低金利が維持され(インフレは抑制され)、国債の大量発行が可能となり、巨額の戦費は調達された。
・高橋是清:32-36年、大蔵大臣。金輸出の再禁止(金本位制から離脱)、円安放置による輸出促進、国債の日銀引き受け、金融緩和などを進め、日本を昭和恐慌から脱出させる。軍事支出のさらなる増加を求める軍部と対立し、36年2.26事件で死去。
・32年に国債の日銀引き受け開始、また37年以降、日中戦争による軍事費巨額化に伴い国債が大量発行された。その影響は、終戦後に激しいインフレ(国債・紙幣の紙くず化)となって現れた。戦時中に、資本の移動規制と物価統制によって、強引に抑えつけていたインフレへの圧力が、戦後、一挙に噴出したといえるか。
1930年代~1945年――国債の中央銀行引き受け、対外資本移動の禁止
20世紀に入り、戦争が総力戦となると、市場での国債発行では資金調達が間に合わなくなった。そのため、金本位制の停止、対外資本移動の禁止、中央銀行による国債引き受け(=中央銀行による国債買い取り=紙幣の発行)が行われた。イギリス・日本・ドイツなど各国は、「金の足かせ」を外し、ブロック経済圏のなかで国債を大量発行し、中央銀行に引き受けさせた(中央銀行券を大量発行した)。《金》ではなく《国債》を担保にして、《貨幣》を大量発行したのである。言い換えれば、政府は《国債》と《貨幣》を恣意的・無制限に発行したのである。44-45年の国債残高の経済規模に対する割合は、イギリス・日本・ドイツで約200%、46年のアメリカでも約120%であった。
資本の自由な移動を規制し、政府が中央銀行に直接、国債を発行することで、《国債の大量発行》と《国債の低金利》の両立が可能となり、巨額の戦費が調達された。もし、グローバルな自由主義経済であれば、日本・ドイツ国債のリスクは 国債価格の下落・高金利となって表面化していただろう。事実、ブロック経済圏に閉じ込められた日本・ドイツ国債(自国通貨建て国債)は低金利を維持していたものの、ロンドン市場におけるポンド建て国債の金利は高騰していた。日本・ドイツの国債と銀行券は、無制限の増刷によって、国際金融市場からハイリスクであるとの評価を受け、低信用に見合ったハイリターン(高金利)が求められていたのである。国際金融市場の予測通り、第二次大戦後に激しいインフレが生じ、日本・ドイツ国債は紙くず同然となった。
第二次大戦後のアメリカでは、国債(政府の債務)と紙幣(中央銀行の債務)は、それぞれ議会に対して独立した責任をもつという方向性が示された(政府と中央銀行の分離)。
20世紀末から現代の日本では、大量に国債が発行され、国家歳入に占める国債の割合は、第二次大戦期を上回り、明治維新期に次いで高くなっている。
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